憧れというか尊敬というか、
そう言えるほどの何を知っているわけでもないけれど、佇まいから勝手に感じ取っているその姿に
とにかくグッときているお一人が、樹木希林さん。

希林さんのインタビュー記事や、その生きざまが透けて見える‥けれど決して本人ではないし、でも虚像でもないその役柄を通して感じたことを、一人Slackのメモに残していたりするのだけれど、
ニュース記事のリンクってそのうち消えていってしまうものも多いから、ちょっと長くなりますが記事を引用しながらnoteにも。

樹木希林さんの瞬間芸

「いやいや、大丈夫じゃないよ。あれは瞬間芸だもん(笑い)。だってあなた、舞台挨拶に行ってさ、『いやぁ、もう。ほんとに大変なんですけど来ました』って言うのなら、行かないほうがいいじゃない。人と会うとき、こうしてしゃべってるときだけ元気で、あとはぐて~んとしてるんだから、瞬間芸なのよ(笑い)。こうやってしゃべってると、おかしいね(笑い)。
でもまあ、大丈夫じゃないけど、だいたい、これ(がん)をやっつけようとかって思わないのよ。『がんと真剣に向き合って』とかも思わない。こんないい加減な感覚で生きてるから、私がお話できることはないんですよ。
まして責任がある命のことなんかに、私がそんな、あなた。私だって明日をもしれない身なんですから、無責任なことは言えないんですよ」

ー全身がんの樹木希林、元気なときの姿は「あれは瞬間芸」 – NEWS ポストセブン

実は「いやいや、大丈夫じゃないよ。あれは瞬間芸だもん(笑い)」っていう瞬間、誰にでもあるんじゃないかな。少なくともわたしは、ある。

個人的にはそれでいいと思っているのだけども、話を聞いてみると「いつもいい状態でいなきゃ!」みたいな人も多い。瞬間芸はホントはダメだって、思ってる人。
でも実は、ずっと全力の人って刺激的でキラキラして見えるんだけど、ずっと一緒にいるには疲れちゃったりイヤになっちゃったり離れたくなっちゃったりするものなのかもしれません。

逆に「ずっと全力って思わせておいて、実は瞬間芸でしたー!(テヘ)」みたいな人もいて、そういう人ってなぜか惹きつけられちゃう。
スルメ的な人。影がある、とはちょっと違うんだけど、なんかふとした時に会いたくなったり、どこかで支えになっているる感じ。

樹木希林さんは、パッケージも価格も普通なのにスーパーでついつい手に取っちゃって、スルメと言えば!みたいにいつの間にか虜になってる、そんなスルメ的あこがれの存在です。(わたし調べ。笑)

どうせまあ、考えが変わるんだろうなと思うから、自分自身に対してもね。

もう、自分も面白く生きてるからさ、私は。『女性セブン』の意向に沿えないのよ。沿えないっていうか、沿う気がないんだね。まあ、だいたい何でもそうだけどさ、だから、自分の本も書けないのよ。どうせまあ、考えが変わるんだろうなと思うから、自分自身に対してもね。だから、そのときの話っていうだけで、一過性のものっていうふうに、世の中に出ているものはだいたい思ってるのね。もう、そこにいちいちかかわっていくのは、くたびれるなっていうふうに思うの。

そういうわけだから私のことは放っておいて。もう、佐藤愛子さんとか、黒柳徹子さんとか、パワーがあってさ、元気な人から話を聞いてちょうだい」「沿えないっていうか、沿う気がないんだね。まあ、だいたい何でもそうだけどさ、だから、自分の本も書けないのよ。どうせまあ、考えが変わるんだろうなと思うから、自分自身に対してもね。」

ー 全身がんの樹木希林、元気なときの姿は「あれは瞬間芸」 – NEWS ポストセブン

最高!!(#個人的な意見です。笑)
考えって、変わってもいいものなんだけども、なんだかそれが良しとされづらいというか。そういうのあるな、と。
いつからだろうって思いだそうとすると、案外だいたいそうだったかな、と。

例えば、美容の情報とか、健康法とかもそうで。
そもそも「自分基準・自分発信で考えてないから、変わるも何も泳いでただけ」ってことも多いのだけど、
それに気づかず気づかれず、「前と変わったよね?!なんで?!」みたいになりがち、その大きく聞こえる声に乗っかりがちな、美容健康ブームってなんなんだろうなーとか思ったりもします。

自分基準、自分発信だと考えって変わるもの。だと思っていて。
からだもこころもたましいも変わらない軸はあれど、その軸をたおやかにしなやかにゆらゆらさせながら、変わっていく部分がほとんどなのだから。

成長の時にはその「変わる」を喜んで、そうじゃないときには「変わりたくない」って、なにそれ?って思いません??そんな都合のいいハナシあります??(笑)

だから、食べるものでも飲むものでも、『自分で勉強して』って言ってるんです

「病院もそうだし、いろんな『いい』っていう話は、自分がいいと思っても、人それぞれですから。グリコの『一粒300m』みたいなわけにはいかないんですよ。だから、食べるものでも飲むものでも、『自分で勉強して』って言ってるんです」

ー 樹木希林から電話来る がんクリニックについて見解表明 – NEWS ポストセブン

きっと、みんなわかってる。
時代やタイミング、生まれ育った場所や環境、それこそ地球なのか火星なのかも含めて【いつのどこのだれにでも役に立つグリコ】なんて存在しない。

でも、なんか追い求めちゃうんですよね、それも分からなくはないです。
そもそも追い求めることって人間に生まれたから楽しめる特権みたいなものだから、じゃんじゃん楽しみたいし、人の楽しみをぺしゃっと潰しちゃおうなんて思っていないです。

ただ。
だから、食べるものでも飲むものでも、『自分で勉強して』って言ってるんです
ここがキモなんじゃないかな、と。

さらに言うならば、勉強って《手法・手段の勉強》ではないんです。
それは応用ステップ。

離乳食すら食べられてないのに、突然カツ丼食べさせたりしないし
ハイハイすらしたことないのに、突然マラソンに連れて行かないし
なのに、どうしてからだのこと、こころのことになると、基礎を知らないで走ろうとしちゃうのか。。

からだやこころが何をしてくれているのか、ということが基礎として軸として定まった上に
温故知新の精神プラス人間の能力を最大限に活かして、今の自分に合う手段や手法を使いこなしていく。
それが『自分を生きる』ってことに繋がるんじゃないかな、と。

美容や健康についてまずは興味を持ってもらうために、刺激的にキャッチ-に発信してくれる人がいる一方で、
「からだの基礎、こころの基礎ってなんのことかがそもそも分からないし、もし分かったとしてもどうやって学べばいいか分からない」という方に向けて「自分の基礎、自分のペースを作っていく」ためのカジュアルな場所やアイテムを作り届ける人も、もっと居ていいんじゃないかなと思うんです。
「自分で勉強して」=「独学で頑張れ!」みたいに聞こえるかもしれないけれど、そうではないし、そう思ってもらえた時に手伝える人がもっといたらいいな、と。

そんなわけで、ここ十数年は『からだのキホンを学ぶ』って結構いい方法だよね、と確信しているものの、希林さんの言うところの「どうせまあ、考えが変わるんだろうなと思うから」が邪魔をする。
そこがまさに、わたし自身の課題。ちょっと真剣に取り組みたい、課題。